帰り道をいつまでも探して

gakus2005-12-02

 昨日に続いて、ボブ・ディランの2部構成のドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」について。

 第一部はディランの生い立ちから、時代の代弁者となるまでを追いかけたものだが、合間合間に、エレクトリック移行期のヨーロッパ・ツアーの映像が挿入され、フォークを裏切ったとしてステージでブーイングを浴びるディランの姿が見られる。第二部は、そこに深く切り込んでいく。

 1960年代前半、ディランは時代の若者の心情を投影したナンバーを歌い、フォーク・ミュージックの神様に祭り上げられたが、彼自身は型にはめられることを好まなかった。“右でも左でもない、独立した詩人”と、ある人は彼を評する。ディランは語る“目的を達成したと思ってはいけない。まだ途中だと思えれば、自分は大丈夫だ”。そしてディランはアコースティック・ギターをエレクトリックにも持ち替え、ステージに立つ。これが保守的なフォーク・ファンには我慢できなかった。“裏切り者!”と罵声が飛ぶ。

 この現象で興味深いのは、ファンがディランに同じことを繰り返すことを望んだこと。当時のディランのファンは、公民権運動や反戦運動に共鳴した人たちだった。何よりも変革を望んでいた人が、ディランの変化だけは認めなかった…という事実。これは、彼らは目的を達成することだけを望んだのであり、その途中である状態を望まなかったと言い換えることもできる。

 当時の風潮を肌で感じたわけではないので、エラそうに聞こえたら申し訳ないけれど、60年代の理想の多くが敗北に終わったのは、そんな精神性にあるのではないかと思えてくる。たとえ目的が達成されても、それが新たな保守になる。それを見据えているのが、いかにもマーティン・スコセッシ監督らしい。とにかく、この循環を拒絶した地点にディランの立ち位置がある。

 ジャケはディラン、1965年のアルバム『HIGHWAY 61 REVISITED』。映画の冒頭とエンディングでライブでフィーチャーされる名曲『LIKE A ROLLING STONE』収録。