生きるための闘い

gakus2010-08-21

 存命ならば今日で58歳になっていたジョー・ストラマーに敬意を表して、『レッツ・ロック・アゲイン』をDVDで再鑑賞。この映画については2004年11月6日のエントリーで触れているので、そちらをご参照していただければ。

 本当にいくつもの金言がジョー・ストラマーの口から語られるのだけれど、今なおシミるのは“フィフティ・フィフティに持ち込みたい、バンドを続けるために”という発言。この映画の公開から自分もそれなりに加齢したのは確かに大きいけれど、現在の景気の停滞感も、この言葉を重くしているような気がする。

 大勝ちする時もあればボロ負けすることもある。マイナスのままならば見直しを迫られるのだが、それは若ければ若いほど有効だ。年を取ればとるほど状況は厳しくなるし、社会人として、親として、一定の利益を考えねばならないという現実に直面する。ゲームを降りることが許されない年齢と立場なら、とにかく続けないと。そのためには勝ちよりも、まずはフィフティ・フィフティに持ち込まなくてはいけない。

 話はそれるけれど、ちょっと前にみうらじゅんさんに取材させていただいた際“若い頃は「変化を求めない生き方はダメ」と思っていたけれど、今は続けることの凄さを実感する”という言葉が心に残った。金太郎飴のようなことを続ける(もちろん微妙に変化はしているが)ことは簡単なようで実は難しいが、それは続けることで自分だけのジャンルになる。ディランしかり、ストーンズしかり、スティーブン・セガールしかり、『エクスペンダブルズ』のスタローンしかりだ。

 生みの苦しみは一瞬だが、続ける苦しみは続けるかぎり続く。とりわけ、流れの悪いときにフィフティ・フィフティに持ち込むのは本当に大変だ。でもジョーの言葉を聞くと勇気がわいてくる。

“喉も痛いし、脚も疲れている。でも、もう一曲やれる。もう一度ロックしよう”

 私事で恐縮ですが、この稚拙なブログも今回が999回目の更新。1000回目以降もマイペースで、面白いエントリー&ひどいエントリーとりまぜつつ、フィフティ・フィフティを保ちながら、とにかく続けていきたいと思います。