アビイ・ロードのB面

gakus2004-06-21

フランス映画「世界でいちばん不運で幸せな私」(9月公開予定)を観る。

男の子と女の子が始めたゲーム。それは互いに命令を出しては、それをクリアし合うというもので、彼らはこれを続けたまま大人になる。幼いころは“校長室でオシッコする”“国語の授業中に汚い単語を並べる”など他愛のない悪戯レベルだったが、さすがに成人すると、その中身も倒錯的になる。それを無邪気に続ける二人は見かけは大人とはいえ、中身はまだまだ子供。やがて仕事や結婚など、彼らに“ゲーム”を終わらせる機会が訪れるのだが…。

子どもの意識を抱えたまま大きくなってしまう主人公たちの姿をメルヘン風に描いており、タッチは「アメリ」を思わせるが、主人公の男女の過剰な自意識が凄まじすぎて、観終わって怒りを覚える人もいるかもしれない。が、見方を変えれば、ここまで自意識の暴走を描いた映画も珍しく、「アメリ」を完全に超えている。ある意味、潔い。

 劇中で主人公の男が、一度は終わったと思った“ゲーム”の世界に戻り、それが他のどんなものよりも刺激的であるかを語る。“ゲーム”の刺激に比べて劣ると、これらもたいしたことない、と様々なものを挙げるのだが“セックス”“ドラッグ”“ララ・クロフト”などと並んで“『アピイ・ロード』のB面”というのもあった。『アビイ・ロード』は、言うまでもなくビートルズのアルバム。そのB面というと、ジョージ・ハリスンの『HERE COMES THE SUN』に始まり、ポール・マッカートニーによるメドレーで締めくくられるサイド。それが“ゲーム”より劣るけど、最高に刺激的なモノとして例に挙げられている、というわけだ。ゲームはともかく、歴史的な名盤として挙げられる一枚だし、個人的にもまったく異論はない。

 気になったのはB面という意識。アナログ盤の時代ならともかく、これがCD世代にどう伝わるのだろう。『アビイ・ロード』をアナログでしか持っていないから、レコード盤をひっくり返せばB面というのはわかる。しかしCDで持っている人は、どこからがB面か、なんて気にしてはいないのではないか。

 『HERE COMES THE SUN』をB面の1曲目として聴くのと、CDの7曲目として聴くのでは印象が異なる。アナログレコードの場合、A面を終えてB面にひっくり返すという行為は、聴く側の気持ちを改める儀式でもあった。それゆえB面の1曲目というポジションは強いインパクトを持つ。しかし、CDで聴くそれは一連の流れのなかに置かれてしまう。ビートルズはアナログ盤の構成を意識して、このアルバムの曲を並べたはずである。そんなことを思うと、CD移行以前のアルバムの単純なCD化というのは、けっこう問題あるんじゃないか…と思う。

 個人的には、デビッド・ボウイの『ZIGGY STARDUST』もB面の流れは最高に刺激的だと思っています。

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