KKKが俺の女を奪った

gakus2004-09-01

 と歌ったラモーンズ/RAMONESドキュメンタリー映画「END OF THE CENTURY」は、彼らのパワフルなサウンドとは裏腹に、とても哀しい映画だった。タイトルの“俺"とはボーカリストのジョーイ・ラモーン、KKKと揶揄されているのはリーダーでギターのジョニー・ラモーンである。

 言うまでもなくラモーンズはロック史を揺り動かした偉大なバンドである。ラモーンズがいなければ、ロンドンのオリジナル・パンクはかたちにならなかった。オルタナグランジも生まれなかったか、まったく違うものになっていただろう。彼らがいなければ、ロックンロールは、つまらないものに成り下がっていたはずだ。

 そんな偉業とは裏腹に、ラモーンズは商業的な成功とは無縁だった。1STアルバム『ラモーンズの激情』はパンクの原点と言われるほどのアルバムながら、セールス的に成功したわけではない。その後、レコードを出しても出しても売れない。一方で、クラッシュやセックス・ピストルズ、ブロンディら後追いのバンドはヒットを飛ばして、成功を手にする。フィル・スペクターをプロデューサーに起用して大衆との接点を持とうとした1980年のアルバム『END OF THE CENTUEY』もコケた。10CCのグラハム・グールドマンがプロデュースした次のアルバム『PLEASANT DREAMS』もダメ。ジョニー・ラモーンは劇中でこう語る。“これだけやってもダメなら、俺たちは売れないんだ。その運命を受け入れることにした"

 さらにインタビューでは、メンバー間の軋轢を赤裸々に語って聞かせる。ジョニーはリーダーとして、メンバーに規律を守らせることに執心。それは高圧的で、時には他のメンバーをイラつかせた。後期ラモーンズのベーシスト、CJは“ジョニーのことは尊敬している。父親のようにね。でも友達にはなれなかった”。ヘロインの過剰摂取で亡くなった初代ベーシスト、ディーディーは在籍時代からドラッグ癖があり、麻薬を嫌うジョニーと対立することもしばし。そして、最初はシャイで大人しかったジョーイ・ラモーンもキャリアを重ねるほどに自信をつけ、発言力を増していく。必然的にジョニーやディーディーとの対立も深まり、それは冒頭で述べた女絡みのトラブルによって、いっそう深まっていく。一方で、皮肉にもメンバー間の緊張は曲作りに大きく貢献した、と映画では語られる。冒頭で記した、ライブの定番曲『KKK』を生んだように。

 セールスは低調、仲は最悪…にも関わらず、ラモーンズは20年以上も活動を続けた。オリジナルパンク時代のバンドで、ここまで続けられたのは彼らぐらいのものである。その理由は、ジョーイの“音楽だけが救いだった”という発言で説明がつくと思う。売れないし、仲も悪い、しかしライブで彼らの奏でるロックンロールだけは最高にエキサイティングなものだった。劇中のインタビューで、誰だったか忘れたが、こんなことを言っていた。“悪いものをすべてかき集めて、美しいものに変える。それがパンクの本質だ”

 終映後、一緒に観ていたMocker!さんと“ラモーンズの最高傑作のアルバムって何だろう?"という話になった。Mocker!さんは笑いながら『ラモーンズマニア』(写真)と答えた。これはラモーンズ最初のベスト盤で、一枚のCDに代表曲30曲(!)が詰め込まれている。言われてみると、確かにこのアルバムこそ自分も、もっとも頻繁に聴いたアルバムかもしれない。栄光の瞬間こそなかったラモーンズだが、存在していたこと自体が栄光だったのではないか、と、今改めて、このアルバムを聴きながら思った。それが“本当に”醜悪なものをかき集めた結果の美しいものである…という事実。ロックンロールとはエキサイティングであると同時に、哀しいものだった。

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