誰のせいでもない

gakus2007-08-23

 久しく聴いていなかった曲を映画の中でふと耳にすることはよくあるのだが、最近“うわっ、懐かしい”と思ったのがHOWARD JONES、1985年のヒット曲“NO ONE IS TO BLAME”(ヘンな邦題が確かついていたはず)。11月に日本公開される『ウェイトレス〜おいしい人生のつくりかた』で、誰が歌っているのか忘れたがカバー・バージョンで聴けた。画像はこの曲のシングル、UK盤。

 『ニューヨーク・ラブストーリー』『トラスト・ミー』とハル・ハートリー監督の初期作品に立て続けに主演したことで知られ、昨年11月に世を去った女優兼監督エイドリアン・シェリーの最後の監督・出演作である『ウェイトレス』。アメリカで高評価を得たが、なるほどそれも納得。パイ作りの才能に恵まれながらも、支配的な夫との生活に縛られ、それを発揮できずにいるダイナーのウェイトレスが主人公で、彼女は絶対に避けたかった妊娠をしてしまう。あんなクソ亭主の子供なんて産みたくないと思っていても、夫の前では良妻を演じてしまうヒロイン。そんな彼女の心の軌跡が描かれているのだが、ユーモアとリアリティのサジ加減が絶妙で、ポップに見せるところはトコトン弾けてるし、真実味が必要とされる場面ではシリアスになりすぎることなく抑制を効かせる。基本的にはコメディーなんだけど、人間ドラマとしてのクオリティは高いと思う。

 で、先の“NO ONE IS TO BLAME"はケリー・ラッセル扮するヒロインが、恋仲となってしまった担当産婦人科医とのお戯れのシーンで流れる。恋愛の複雑さを歌った曲ではあるが、“誰も責められるべきではない"という曲名は、まさにこの映画を象徴しているようにも思えるのは、人間描写がリアルだから。悪役的な立場にいるクソ亭主にしても、支配的になったのはヒロインの受け身の姿勢がそうさせたととれなくもないし、実際、本音をまったく反映していないヒロインの生き方は見ていてイライラすることも。それでも、そういうものだよなあと思わせる説得力はあって、日常の繰り返しの中で生じる慣れとか習慣性とか、そういうものが映画の中に脈づいている。

 他人のせいにするのを止め、自分の人生の在り方を自覚したとき、初めて未来を開く可能性が生じるのだな…と実感した次第。そういえば『ロッキー・ザ・ファイナル』でロッキーもそんなことを言ってたな…。