高熱時代

gakus2005-03-11

 昨日に続き、若いカップルのセックス三昧とロックコンサートに通う日々を描いたマイケル・ウィンターボトム監督の「9 Songs」について。

 主人公カップルの女性の方は21歳。男の方は年齢は明らかにされていないが、おそらく同じぐらい、どちらも20代前半ではないかと思われる。これぐらいの年齢のころは、恋愛のゴール、イコール、セックスと考えたい時期である。この“時期”的なものをとらえることにウィンターボトムの狙いがあるように思える。

 親元を離れて自立し、生活はソコソコ大変だが、とりあえず気ままであり、幸運にも恋人もできた。自由である。となれば時間が許す限り彼女に会いたいし、2人きりになりたいし、もちろんセックスもしたい。ひと晩で3、4回する体力もある。セックスの合間に裸で戯れているだけで幸福を感じる。生活しなきゃいけないという義務感は恋愛には邪魔のように思える。そんなふうだから、もちろん結婚なんて考えられない……20代の前半とは、そういう時期だったなあと、振り返ってみて思う。この時期の恋愛(=セックス)に注がれる人間の熱量は人間の一生のうちでも、とりわけ高い。

 ロックに入れ込むことに関しては10代の方が熱量的に強いものがあるかもしれないが、就労時代以前の学生の所持金では、そうそう頻繁にライブには行けないが、多少なりとも自由に使える金が入れば、ロック・ファンならせきを切ったように、それまで我慢してきたライブに通うだろう。

 「9 Songs」は、そういう世代の圧倒的な熱量を切なさとともに切り取ることが目的だったのではないか、と考えている。昨日の日記で「ラスト・タンゴ・イン・パリ」を引き合いに出して語る批評があったと記したが、そういう意味でも、これは比較としてふさわしくない。「ラスト・タンゴ〜」の性描写には倦怠こそ垣間見えるが、熱量をまったく感じないから。

 主人公カップルが後半で行くライヴのひとつが、フランツ・フェルディナンド。彼らは『JAQUELINE』をプレイする。

 “いつだって休暇の方がいい。休暇が大好きだ。だから僕らは金が必要な時しか働かない”

 こんな風に考えられる時期をとうに過ぎて、セックスしたいと思わない日の方が多い今となっては、この風景がちょっとまぶしく見えました…もちろん、その後それなりのことを学んだし、あの頃に戻りたいとは思わないけどね。

 ジャケはフランツ・フェルディナンドのシングル『MICAHEL』。このナンバーは主人公カップルがカントリーハウスに旅行に出かけた車内でかかっている。フランツは好きなバンドだけど、あと十数歳若かったら、自分の人生のサウンドトラックと思えるほどに、もっと熱中して聴いていただろうなあ…。