「歌え!ジャニス・ジョプリンのように」その2

gakus2004-06-04

 ロック満載のフランス映画「歌え!ジャニス・ジョプリンのように」に関するヒマネタの、昨日の続き。

 映画のエンディングにフィーチャーされるのは、最近再結成され、今年のフジロックへも出演するピクシーズPIXIESの『WHERE IS MY MIND?』。資料によると、監督は当初から“最後はこの曲しかない”と決めていたという。

 これを耳にしたとき、連想したのはデビッド・フィンチャー監督、主演ブラッド・ピットエドワード・ノートンの「ファイト・クラブ」。この映画のエンディングに起用されたのも、『WHERE IS MY MIND?』だった。

 「ファイト・クラブ」は殴り合いにより体を痛めつけることで、生を実感する若者の物語。そこには欲しいものが氾濫する物質社会のなかで、痛みに鈍感になり心を失ったしまった“病み”がみてとれる。“殴られる”痛みにしか自分を見出せないのだから、この“病み”は重症だ。ならば、すべてぶち壊してしまえ…というパンクなファンタジー。『WHERE IS MY MIND』(俺の心は何処に?)が流れるクライマックスにはグッときた。

 一方、「歌え!…」の主人公は破壊的ファンタジーを夢想するには歳をとりすぎている。妻子がいて、安定した仕事も持っている。生活にさしたる不満もない。しかし小さなストレスが蓄積していことは、冒頭のナレーションで早速明らかにされる。“宝クジを当てたい”“禁煙しよう”“社交的になろう”“笑顔で”などの多種スローガンをズラズラとまくしたてる部分。小市民的スローガンだが、そうなりたくても、なかなかなれない理想と現実のギャップ。それが主人公の心を少しずつ、確実に圧迫していることがわかる。彼は忙しすぎて、“痛み”を解放するヒマも心の余裕もない。

 物語は、この後、出来心で横領してしまい、窮地に追い込まれた主人公の悪戦苦闘へと発展。そして昨日書いた、妻がジャニスに変身する話につながり、夫はもはや手な負えなくなった事態に消耗するハメになる。彼の“MIND”がどこにあるのかは、観てのお楽しみ。「ファイト・クラブ」の後では二番煎じ的ではあるけれど、ここでの『WHERE IS MY MIND』のフィーチャーも、かなり説得力がある。

 「ファイト・クラブ」の主人公は若くしてMINDを見失ってしまうが、「歌え!…」の方は、かつてMINDがあった場所を知っているから、まだ救いがある…という見方もできる。腹をくくった回数が多いぶん、ファンタジーを夢想する必要がないのだ。あっ、これが歳の功か。

 ネタバレ回避のつもりで書いてたら、ヒマネタどころかワケわかんなくなっちゃった。難しいことをダラダラ書きましたが、これ本当にコメディーです。笑えます。

 あー、それとフジロック、今年は3日間通し券しか売らないだって!? 平日身動きのとれない社会人からぼったくるな! せめてPIXIESの単独公演を…。写真は『WHERE IS MY MIND』収録のファースト『SURFER ROSA』。


ファイト・クラブ [DVD]

ファイト・クラブ [DVD]